文学部の日の当たらない学部に所属しています。ゼミで現在取り組んでいるのが、「物語の起源」の研究です。研究と言えるほど大したものではございませんが、どうして人が物語を作るのかを文献から読み解いています。現時点の回答は、「人が物語をつくるのは、読み手に世界の全体を獲得させるためだ」ということです。物語で世界の一部分を切り取って描写し、それを人に伝えることで我々が生きているこの世界というものを多面的に獲得せしめる、それが人類の進歩に寄与する、そんな感じです。はーーー、実感湧かなーーーい!でも、このことを発展させると、「他人が獲得する世界にとって自分が不可欠であると感じたいという欲求に支えられている」とも言えます。ここまで来ると少し腑に落ちる気がします。
そもそも「物語の起源」なんてものに興味を持ったのは、私自身が物語をつくるからです。演劇をやっていると、周りは創作意欲に満ち満ちた人ばかりでとても素敵です。しかし、同時に不思議でもありました。地球に人類が生まれてから何億何兆もの物語が紡がれてきた。その中のほんのちょっとの"私"の創作物なんて無意味なんじゃないか、特に物質的な何かを生むわけではない物語という文字列を、どうして人は作り続けるのだろう?と。
安易な考え方をしてしまえば、承認欲求とか自己満足とか自己表現とかなんでしょうけれど、もっと根源的に人間に備わっているものが下支えしているのではないか、と。そんな思いから取り組み始めました。というより、下支えしていて欲しいという願望に違いものかもしれません。自分の中に湧き起こる「創作意欲」が、演劇をしたい!という思いが、ちんけな自己満足に回収されたくないのです。
今のところ、それらは世界における自分の必要性の確信を得るためだということになります。私たちの作っている些細な創作が世界なんていう大きなものを構築しているという実感は甚だありませんが、偉い哲学者がそう言ってくれているのだから、ありがたく受け取ろうと思います。そして自分のやって来たことに意味があったんだと理由付けしたいが為に、この研究を続けていこうと思う日々です。それこそ、自己満足ですね笑
長文、失礼いたしました。
豊田
0コメント