言葉狩り

言葉が狩られている。

某お偉いさんの女性蔑視の発言が波紋を呼び、おおごとになっていくのを見た。口から発した言葉の重みを感じる今日この頃。もちろん立場や状況に応じて重みは変化はするでしょうが、今とかく失言・暴言と口から出たものに対する処罰や糾弾が増えています。「言葉は本人の所有物」であるため、責任を負うのですね。

しかし、この傾向が加速していけば表現の自由が損なわれていくのは目に見えています。「女性」「男性」「その他」が並ぶ書類が当たり前になった今、言葉の文脈も捉えず、とにかく誰かを傷つけない表現ばかりが追求されている気がします。
たとえば「蔑視の意図がなくても、この書き方だと誤解されるから…」「あのドラマのあのセリフは日韓関係に触れて危うい」とか。忖度しまくりの表現規制でメディアにいるクリエーターは辟易しているんじゃないかな?と思います。

表現者の言葉が狩られている

そういえば。野田秀樹が『赤鬼』のインタビューの中で差別語について触れていたのを思い出しました。書かれた時代柄もあるかと思いますが、『赤鬼』では放送禁止用語がバリバリセリフに入っています。彼はそれを意図的に入れていて、それは物語の文脈として必要なセリフだからだそうです。物語という文脈があればその言葉が現実の誰かを傷つける意図を持っていないことは明らか。それは、裏を返せば、文脈を理解せず記号的に言葉を規制しても意味がないということ。
「やっぱ、半世紀言葉を武器に戦ってきた人は言うことが違うなぁ〜」と思ったり。しかし、それは演劇だから許されるのかもしれない。SNSやテレビという誰もが見れる、なおかつ即時的な媒体で、文脈なんて言うのはナンセンスなのかもしれない。そんなことも考えながら食う寝るしております。

"触らぬ神に祟りなし"と、みんなが思って、問題が起こっても閉口している事態になるのが私は一番怖いのです。保身のために自ら自分の言葉を狩ってしまうのが。
だから、炎上もバッシングもほどほどに。自分から生きづらい世の中にしていく意味はそんなにないと思うのです。

「思ったことを口にすること」と、「考えたことを口にすること」は違うのでは?と言いたい。言いたいけど、やっぱり言わないでおこうっと。


豊田莉子

劇団つちの娘

We are the theatle Company inKyoto

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