僕らの?人間座について

劇場とは不思議なものです。
ただの建物、空っぽの空間なのに、年月を経るうちに
そこには何か、”気配”が感じられる様になります。
きっと幽霊です。
そうなんです!

良い劇場には幽霊がいるのです。

たくさんの伝説的なライブや公演が行われた京都大学西部講堂では、
学生運動当時の内ゲバで殺された活動家の幽霊が出る
という噂がまことしやかにささやかれている
らしいです。

僕の古巣である、同志社大学新町別館小ホールでも
”新町君”という可愛い感じのお化けがいました。
仕込んで置いた小道具がなくなったり
スピーカーから勝手に音が出たりと
いたずらをするのです。

きっと、芝居をするという行為は
何かを呼び出す
降霊術のようなものなのでしょう。

そんな妖怪の住んでる良い劇場の一つが
危機に瀕しています。

人間座です。

人間座は1957年に結成されてから、今日まで

京都の若手の演劇人に発表の場を与え

地域の舞台芸術の担い手となっています。


私の所属する、劇団つちの娘も何回か人間座さんにお世話になっています。


以下、人間座のホームページ


人間座では、本年、2020年12月末日をもちまして、公演のためのスタジオの貸し出しは、一旦中止させて頂きます。

以後につきましては、座の方針が決まりましたらお知らせいたします。

人間座 菱井喜美子


何があったのか正確によく知らないので、ここで書くことはできません。


京都は「演劇をするため」の劇場の数が極端に少ないです。

人間座がなくなってしまうと、地域の演劇人の発表の機会が失われてしまいます。



私の希望だけ、願いだけ一方的に書き連ねたいと思います。


どうか、私たちの演劇の出来る環境がなくなりませんように。


演劇なんて、所詮なくても生きていける。

それはそうです。間違いありません。

劇場が近くにあったらうるさいし、はた迷惑なものでしょう。

本当に申し訳ありません。


しかし、もし、想像したくありませんが

人間座がなくなってしまったら、


妖怪が一匹死にます。


その妖怪は

何年も何年も堆積した

役者のつばであり、言いトチリであり

観客の笑い声であり、イビキであり

面白かったなあ、と、ふと夜空を見上げる星の一つ一つです。


妖怪が死んでしまえば、何十年にもおよぶその奇跡的な鍾乳洞は

永遠に失われてしまいます。



人間座に入ると、サックスを吹いたピエロと大量のチラシが出迎えてくれます。

灯りのスイッチをひねると、

電灯の、ジーーーーーッという音と共に、

人間座の空間が、欠伸をしながらのそのそと起き上がってくれます。


起きたばかりの人間座の空間は、過去に終わった拍手の残響、役者の身振り、雑多な情念が

ふわふわと漂い、ゆっくりと沈殿しています。


私は、その逍遥を眺めるのがすごくすきなのです。



だから、

と続けるのは、本当に愚かで

もっと具体的に、みんなの納得のいく責任ある文章を書けよ

と声が聞こえてきそうですが



だから、人間座がなくなりませんように。

私達の大切な場所が消えませんように。



人間座のために私が出来ることが全然わからなかったので、

とりあえず、人間座に対する思いを書きました。

私のこんな深刻で、ナーバスな気持ちを他所に

人間座は飄々と再開してくれるでしょう。

それを願って止みません。

これまでつらつらと、時にポエティックに書き連ねてしまい

すいませんでした。

ここまで読んでくださってありがとうございました。


武士岡 大吉


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