喉が渇いたとか、眠いとか、腹一杯食べたいとか、そういった人間の獣としての側面が押し出される欲求が苦手です。もちろん食べたり寝たりしますから、苦手というのは、それについて考えることに限ります。
大食いをテレビで観ると、獣臭くてむず痒くなります。性欲にも如実に現れます。獣のように、とか表現されるアレ。そうした物と個人を、きっぱりすっぱり切り離して考えられない。
芸術を鑑賞したり、時には芸術を作ってみたり。文化に触れたり、歴史を学んでみたり。そんな風に着飾ってもいる自分は、どこまで行っても服を着た獣なんだと思うと虚しくなります。
何をやっているんだ、と。
そんな感覚に呼応する様に、何かを作り出したいという欲は尽きません。三大欲求に支配されない非・獣的な欲求が私の中で疼きます。だから、演劇をやっています。
この飢えは、突然やってきます。そして満たすのにずいぶん時間がかかる。厄介なものです。ただ、この欲求を大事にしなくては、私は私を人間として認められないと感じるのです。
自分を成り立たせるというある種の本能から、この欲求は来ているのかもしれません。詳しいことなんて分かりませんが、私はこの非・獣としての渇きを潤して生きていくしかないのだと最近分かりました。でなければ、大袈裟じゃなく人間として死んでしまう。そんな気がしている秋の夜です。
豊田
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