演劇は最初から4DXなんだという話。

生魚の匂いがする演劇を見たことがある。

観客から役者に水鉄砲をかけさせる演劇を見たことがある。

役者の鼻息が耳元にかかってくる演劇を見たことがある(いくつかある)。


ああいうのはもう広義の4DXっていうことでいいんじゃないだろうか。

なんかもう五感全部おかしくなったし。


視覚以外にもバリクソ爪痕を残す余地がある。それが演劇の良いところです(知らんけど)


となれば、ニューノーマル時代において演劇は何をすればいいのでしょう。

"生"のインパクトが↑みたいなものばかりだとは思わないけれど、

演劇から"生"がもがれたら何が残るのか。

最近は嫌が応にも考えざるを得ない毎日です。


実際、めちゃきつい。

考えるほど、演劇の良さは"生"に集約される気がしてくる。


映像の中の人間がいきなりTシャツ食っても「まあ、そんなもんか」って流されそうだけど

目の前の人間が同じことしたら「おいおいおいおい」ってなるよね、みたいな。


いや無茶をすればいいと言うことではなく、生の情報量はやはり圧倒的という話。


4DXは素晴らしい。だけど、4DXでしか存在できない。

演劇はなんて儚くて弱い生き物なんだろう...。


4DX見たことないけど、そんなことを思いました。


岩本

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